国語はどうして舐められがち?
国語の塾と調べると、予測に「必要ない」なんて出てきたりしますね。
数学や英語の専門塾はかなりスタンダードですよね。
国語も同じ主要教科なのに、なぜか国語は自力でやろうとする人が多い印象です。
エントリーシートを書くのだって助けてくれる専門のプロがいるのに、同じ”文章を書く”小論文は自分で書ける気になるのはなぜなのでしょう。
国語は日常的に使っている言葉を扱う科目です。
そのため多くの人が、「日本語なんだから勉強しなくても分かるはず」と考えてしまいます。
しかし、話す日本語と、読む日本語(文章を論理的に理解する力)は別物です。
文章理解には、論理構造・語彙・筆者の意図を読み取る思考力が必要で、これらは意識して訓練しないと身につきません。
また、英単語や計算は覚えた分だけ点数が上がりますが、国語はそうはいきません。
短期的な成績の上がり方が地味なので、「勉強しても変わらない」と感じやすく、後回しにされがち。
でも、読解力はすべての教科の基礎なので、実は一番じわじわ効いてくる力です。
「国語はセンス」「国語は小さい頃からの読書量で決まる」などの言葉が、勘違いを助長しています。
本当は、論理的に読むトレーニングをすれば誰でも伸ばせる教科なのに、努力の対象から外されやすいのです。
国語塾に通う理由
自分の「読み方の癖」に気づけないから
人は、自分の経験や知識をもとに物事を理解します。
たとえば「家族」という言葉を読んだとき、
・家族仲が良い人は「温かい存在」
・複雑な家庭環境だった人は「重たい関係」
のように、感じ方が違ってしまいます。
また、日本語には多義語(いくつもの意味を持つ言葉)や比喩表現が多く、文脈のとり方次第で意味が変わります。
たとえば「冷たい人」という表現は、
・感情がない
・落ち着いている
のどちらにも読めます。
国語の文章読解は、そういった自分の解釈の仕方がそのまま答案に出ます。
でも独学では「どこがズレているのか」を客観的に指摘してくれる人がいないので、誤った読み方を続けてしまう危険があります。
語彙力・背景知識の不足が壁になるから(読書=点数UP?)
国語の文章には、普段の生活であまり使わない言葉や概念が多く出ます。
語彙や背景知識が不足していると、本文を理解する前に止まってしまうのですが、それを独学で補うのは難しいです。
例えば、随筆文で取り扱うテーマは大まかに言うと「人文」。人間に関わる精神的・文化的な営みを対象とする分野や考え方を指す概念的な言葉です。音楽などの芸術、哲学や宗教がそれにあたりますね。
日本文化と西洋文化の違いというテーマがあったとしましょう。
このテーマの随筆文で筆者の意図を読み解こうと思ったら、そもそも読み手が2つの文化の違いを理解している必要があります。
ここで少し解説しますと、2つの文化の違いの根源は「宗教」です。
西洋で主に信仰されるキリスト教的世界観
・絶対的な神の存在により善と悪、正義と罪といった二元論的な枠組みが強い。
・「真理は一つ」という考えが根強く、絶対的な価値観を求め、理論化・体系化する傾向。
・自然は「神が人間のために与えたもの」であり、人間がそれを管理・利用することが正しいとされる。「自然を支配し、制御する対象」
・神から与えられた掟(十戒など)や普遍的な倫理規範に従うことが道徳で、「罪(sin)」という概念が強く、人は罪を背負う存在。
日本の神道・仏教的世界観
・神道:自然や森羅万象に神が宿る「多神教」。
・仏教:無常観・輪廻転生をベースに「苦からの解脱」を目指す。
・善悪の境界は西洋ほど明確ではなく、調和やバランスを重視。
・「真理は多様に存在する」という柔軟な発想で、体系化よりも、曖昧さや調和を許容する傾向。
・多神教なので、自然そのものが聖なる存在。人間は自然の一部であり、自然に調和して生きることが大切とされる。「自然とともにあり、調和する対象」
・絶対的な掟よりも「恥の文化」や「空気を読む」ことが道徳で、罪よりも「穢れ(けがれ)」という概念。
こういった前提知識を「教養」と言ったりしますが、最初から知っている人と知らない人とでは、随筆文を読んだ時の筆者の意図に辿り着くスピードも解像度も、まるで違ってきます。
ではこの「教養」はどうしたら身に付くかーーその答えは”読書”ではありません。
読書をして活字を読むこと自体に意味がないわけではありません。しかし、読書をする=点数が上がるでは決してありません。
大事なのは「いかにその題材に興味を持つか。」
これは小説文でも同じこと。出題作品を知っているか知っていないかでは、圧倒的な差が出ます。
例えば入試の頻出作品の代表である「源氏物語」。活字で読もうとすると、かなりの重労働でしょう。
しかし、”内容を知ること”が目的であれば、マンガでも充分にその役目を果たせます。
日本国語塾では単に問題を解くのではなく、作品の時代背景などを雑談として塾長が面白おかしくお話しています。
雑談として話されると、自然と話に耳が傾くので前提知識を得るきっかけになったり、生徒さんが問題に出てきた作品のマンガを自主的に読んだりし始めます。
つまり、「自然に、より楽しく国語に向き合える」わけです。
答案づくりに「型」があるから
国語の記述は自由に書いていいわけではなく、
「本文の根拠を抜き出す→つなげる→問いに合わせる」
という“型”に従う必要があります。
この型は添削を受けて初めて身につくことが多く、独学ではなかなか修正できません。
学校や入試で求められる「正確さ」と「スピード」が両立しにくいから
読むスピード・答えるスピードも国語の得点には直結します。
「じっくり考えれば解ける」から「制限時間内に解ける」へレベルアップするには、
自分一人の練習だけでは限界が出やすいんです。
また、学校ほど人数のいる集団授業では、どうしても”出来ない子に合わせられがち”です。全員が問題に回答し終わるまで待ってから解説に入るか、制限時間があったとしても余裕をもって定めていることが多いでしょう。それでは、
・この問題にどれほどの時間をかけているのか?
・この問題にかける適切な時間は?
といった、”実践的な問題の解き方”ができません。
学校の授業では問題を解けている。それだけでは、入試本番で勝てる充分な力をつけられているとは、残念ながら言えません。
問題の出題傾向だってもちろん学校特色のものがあるわけですが、学校の授業ではそこまでカバーしきれないのが現実です。
そのため、日本国語塾では「過去問対策」に重きを置きます。
過去問はただの練習問題ではありません。
出題傾向を掴んで自分の弱点を明確化し、合格ラインと見比べて自分の実力を正確に測る。
過去問は受験対策において何より最強の教材です。
日本国語塾(松橋国語塾)について
松橋国語塾では、国語専門塾として日本TOPレベルの指導ができるよう、日々努力しています。
国語でお手伝いができることがございましたら以下のお問合せフォームにご連絡いただけると嬉しいです。
今後も役に立てるような記事を書きますね!
それではまた!


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